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接客サービス業として

海の日の三連休、初日は現場へ出ましたがそこから昨日まで関西へ行ってきました。
この仕事を始めた頃では考えられない選択です。


駆け出しの頃は主に土日祝日を休んで遊びに行く人たちの相手をするのが自分の使命だと思っていました。
特に連休を取るなんてサービスマン失格!くらいの勢いです。
それはそれは大きな観念として自分の頭の中に蔓延っていました。
それこそが正義である、そうすべきだ、といったように。

自分で会社をするようになってからも同じです。
自分が休んで誰かを働かせるなんてあり得ない、と。
取引先としても欠員(正確にはこう呼びませんが)を出しておきながら自分は休むのか?と言ってきそうな勢いの人がいましたし。
仕事が好きということも相まって、年中無休のシーズンが何年も続いたのはそういう経緯です。
これはもう観念だったのと自分でもそうしたいと思っていたので特に何か不満を持ったことはありませんでした。
何年か前の妹の結婚式もまさにこの海の日の三連休の中日で、仕事をするだけしてから遅れて参加したので披露宴も終盤でした。
家族や親戚からはまるで人間じゃないかのように本当に叩かれました。

でも今では堂々と休みます。
この業界で尊敬する先輩からの一言も背中を押してくれました。

 

「人間というのは生モノだからね」

 

 

 

ということで今年は大学を卒業してから初めてのサッカー部OB会への参加です。

 

自分の代のキャプテンが声掛けしていて今年でもう11回目。
上も下も集まって自分の知らない世代の人もいましたが、同じサッカー部に所属した関係からすぐに仲良くなれます。
それぞれの生活もあるのでさすがに集まりはよくないけれど、かけがえのない時間になりました。


過ぎ去った大学生活に想いを馳せたり懐かしい昔話で盛り上がったり…
でもみんな誰一人あの頃は良かったとかあの頃に戻りたいなんてセリフは出ません。
あの頃があったから今があるということを理解しているのかな。
最高な日々を過ごしているからこそというのもありそうです。


一緒に過ごしたのはお互い精神的にも幼かった時で、今だから分かり合えることもたくさん。
大切なことにたくさん気づくことができました。
改めてこの仲間でよかったな、と。
相手からどう見えていたのか、そこにいっぱいギャップもあって自分の一面が次々に発見されていきます。
今も同じように見られていることがあるかもしれない、と置き換えてみたり。
そんな中でも自分たちのキャプテンは彼で良かったんだなと確信。
こんな素晴らしい時間を創ってくれて、今も昔も感謝しかないですね。


こうやってガッツリ連休を取っているのを羨ましく見ていたり、批判的に思ったり、もしもそんな考え方があるのだとしたら…
自分の在り方に不安があるのかもしれません。
そう、ちょうど観念を持ち始めたあの頃の自分のように。
これからも自分は自分が必要を感じた時には会社を空けるでしょう。
誰だって高くジャンプしたければその前に必ず膝を曲げているのです。


ところであなたには羨ましく見える誰かがいますか?

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形から入るということ

去年に続き、接客の授業を担当している学校での式典に参加してきました。
調理師を育成する学校で第21回を迎える調理師の仮認定式です。



西洋料理を担当されていた市内にあるホテルの料理長さんの提案で、

「コック帽を授かり実際に身に着けることで、プロになるのだという想いで背筋を正すようになれば」

との意図で始まったそうです。



よく恰好から入る人がいます。

 

実はこれ、とっても大切なことです。



想像してみてください。

 

 

例えばあなたが憧れていた高級ブランドの服を着る機会がやって来たとします。

 

いつもと同じ振る舞いをしますか?

 

 

 


あたかも~のように

 

さも~であるかのように

 

 

 

もしもあなたがレアル・マドリードのメンバーになったとしたら
(サッカーネタですみません)

グラウンドでの振る舞いはどうなるでしょう?
普段の過ごし方はどう変わるでしょう?



視点を変える。



とても有効な手段です。


この学校で講師を拝命したことにより、自分に「学校の講師」らしい振る舞いがプラスされました。

生徒たちもこの式典によって「プロの調理師」という視点が加わります。

大きく変わる生徒、少し変わる生徒、変わらない生徒、様々でしょう。

ですがきっと彼らの人生に大きな意味を持つと確信しています。

 

 

そんな生徒たちからこんなプレゼントをもらいました。

 



家庭科の授業で作ったみたいですが、自分の時に家庭科の授業があったことを思い出せない…(苦笑)




さて、今のあなたはどんな視点からの景色を望んでいますか?

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最高峰を知る

岡山市幸町にあるフレンチレストランクロワサンスの髙坂シェフが料理人30周年(!)を迎えるイベントで、東京にあるシンシアの石井真介シェフと大山恵介シェフとコラボされました。
昨年のモノリスに続き、再びサービスを担当させていただく機会を得ました。


岡山最高のフレンチとミシュラン❀のフレンチの融合。
シンシアhttps://sincere.gorp.jp/
クロワサンスhttp://www.croissance.jp/







岡山マスカットを遊び心いっぱいに。
本物に紛れ込んだフォアグラキャンディを探すのも一苦労。
(どれかわかりますか?)




「真摯な」などを意味する「シンシア」の名前の通り、シェフはフランス料理に誠実に向き合うサムライ魂を持った最高の料理人でした。
ゲストからも人気で、中には東京のお店に行きます!と決められている方もおられました。


そして何と言ってもシンシアを一躍有名にしたスペシャリテ、

”金目鯛のたい焼き”を岡山仕立てにアレンジしたこの料理。


 


ぷりぷりの瀬戸内真鯛が潜んだ素晴らしい一皿でした。
(これを知らないフレンチシェフはいませんからね)



その石井シェフが惚れ込んだパティシエの大山シェフもまたスゴかった。
若き天才と称されるその腕も存分に披露され、独立が決まっているようなのでオープンが楽しみです。


雲の上の存在といつもご一緒できて毎回緊張の連続なのですが、ゲストの喜ばれる表情を見るともっと役に立ちたいという気持ちが湧いてきます。

美味しい料理は人を幸せにする。
ゲストの下に料理が届いて初めてその料理が完成します。
サービスはその大事な役目を担っているのです。



 

 

みなさんお疲れさまでした。
そして髙坂シェフ、30周年おめでとうございます。


ところで、あなたは最高峰を知らないまま過ごしていきますか?

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挑戦していること

ご存じかもしれませんがサッカーをやっています。
この春、2019年度のO-35県代表の26人に入ることになり選抜チームとして活動をしています。

先週中国大会があったのですが残念ながらベンチ入りできず応援側に回りました。
冬のセレクションで落選したメンバーや今回の自分のように直前でベンチ入りできなかった選手の想いを背負った仲間たちは見事に全国大会行きの切符をつかんでくれました。

http://okayama-ssl.jp/?p=1975


9月に岐阜で行われる全国大会に向けて今度こそベンチ入りできるよう、そして試合にも出られるようトレーニングしていきます。
まずは慢性的におかしくなっている脚を治すところから…泣


自分がサッカーをしているのを耳にしている人からすればそういうレベルにあるんだ、と勘違いされそうなので。
でもずっと一緒にサッカーをしている友人からすればきっと意外なはずです。

①サッカーは高校デビュー

②社会人サッカーでの本格活動は4年ほど

③会社設立後は年に数回ボールを蹴るだけ

④復帰してからもそれほど試合に出られていない

⑤しかも本職のボランチではなくサイドで使われている

イメージ崩れませんでしたか?苦笑


サッカー部がなかった中学時代は卓球部に所属していて、体育のサッカーではまぁ多少上手いほうでしたが自分より上手い友達がざっと数えても8人はいました。
高校も決して強豪ではなく同じような初心者もいて自分がサッカーをするには適していた気がします。
体育コースにいましたが身体能力は標準、レギュラーになったのも先輩がいなくなってから。
チームも毎回地区予選で敗退して県大会の出場経験はなし。

大学でもサッカーをしましたが関西3部で2部入りを目指す標準的な強さ。
ただ先輩同期後輩には全国出場や地域大会出場、国体選手、地区選抜、Jユース出身者など何人か上手い人もいて高校デビューの自分には荷が重かったです。
(ちなみに今回久保建英が史上2番目の若さで日本代表デビューしたことが話題になっていますが、その史上最年少記録保持者である市川大祐のお兄さんが1つ年上の先輩で所属していました。笑)
希望ポジションはライバルが強力だったので可能性のあるポジションに移り、そんな中でも何とか試合に出られるようになり、先輩がいなくなっても上手い後輩とギリギリの争い。


まぁつまりそんなにセンスはなかったわけです。笑


社会人になってからは大学での経験が活きて割とブイブイ言わせられました。
名前もなかったチームが県1部まで登ることもできたし天皇杯予選の決勝でファジアーノ岡山と戦うこともでき(結果はボロ負け)たし。
ただ冠婚葬祭や飲食業の悲しさで段々と試合から遠ざかり…
上記の通りあまりサッカーをすることができないまま、特に肉体的ピークの20代後半~30代前半は完全に棒に振っています。
たまにチームの練習に顔を出すと

「おっ、練習来るとかめっちゃ珍しいですね仕事クビになったんですか?笑」

というイジリがある感じ。
とても県代表を目指すには無謀なサッカー人生を送ってきました。



でも、ですよ?


おそらくビリケツとは言え結果として代表入りすることができました。




勇気が持てませんか?




もちろん復帰に向けてなかなかハードな練習はやってきました。

復帰初日にアキレス腱を痛めて5ヶ月休みました。
いつの間にかチームに入っていたルーキーにチンチンにやられたりもしました。
希望したポジションは空いていませんでした。
気が付けば最年長になっていました。
リーグに知っているチームが少なくなっていて浦島太郎みたいでした。
チームのメンバーが自分のことを間違った名前で憶えていました。
アキレス腱が治って半年後に逆アキレス腱を痛めて4ヶ月休みました。
変更になったルールを知らないままでした。
溜まっていた部費を払おうとしたらそもそも登録してなかったから要らないと言われました。
いない時期は自分のユニフォームが勝手に新人に貸し出されていました。
一緒に戦っていたはずのメンバーが別のチームに移籍していました。
先輩が引退していたことを知らされていませんでした。
試合に出られるのは人数がギリギリの時ばかりでした。
最初の選抜セレクションでは「このポジションやったことないの?」と言われました。
2度目のセレクションではゴールを決めたのに落選しました。

それでも折れずに3度目、ついに受かりました。
ブランクからの無理なトレーニングの影響で足腰が負傷だらけです。
それでも全国大会メンバーに入りたい。
あのピッチに立ちたい。

これは完全に挑戦です。

 




それでもみなさんはまだ出来ない理由を探し続けますか?

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誰もが上手くやれるように

京都PHP研究所でのビジネスコーチ養成講座アドバンスコースを修了してきました。


ベーシックコースの受講から1年半、この3ヶ月間もまた濃密な時間になりました。
しばらく使っていなかったスキルを叩き起こしたり新しい知識やスキルを詰め込んだり。


ベーシックでもアドバンスでも共通して苦しんだのが

『わかっている』と『出来る』は決してイコールではない

ということ。

やってすぐ出来ることもあるじゃん!と言われるかもしれませんが、おおよそプロと呼ばれるようになるまでになるには通常7,000~10,000時間が必要だと言われています。
これは一般に学習のステップというもので、

①わからないし出来ない

②わかってるのに出来ない

③わかってて出来る

④わかってなくても出来る

の順番を踏んでいきます。
後はいかにして④までの時間を縮めるか。
もちろん先ほど挙げたようにすぐ出来るようになる人(ちなみにせいぜい③の段階です)もいて個人差がありますが。

 

 

コーチングを使って提供したいのは

わかった、そして出来る!

をいち早く体験してもらうようサポートしていくことです。

 

 

誰もが失敗よりも成功を望んでいますよね?

確かに失敗から学ぶことも多くあります。
自分の業界の先輩たちはこぞって大きな失敗を誇示してきました。

「オレはこんな失敗をしたことがある。それがあって今の自分がいるんだけどな。失敗はするべきだぞ。」
(大抵こんなニュアンス)

が、それが失敗することなく成果が手に入るとしたらどうでしょう?
特にビジネスにおいては失敗が許される状況などありえません。
結果として失敗するのと失敗を経験させようとするのは意味が違います。



人材育成で重要なのは

最初の一歩を成功させてあげること。
成功体験を増やしてあげること。
フォロー体制を整えておくこと。

そして何よりも


その仕事の楽しさ素晴らしさをインストールすること。

 





それでもあなたはまだ失敗も必要だと言いますか?