挑戦していること

ご存じかもしれませんがサッカーをやっています。
この春、2019年度のO-35県代表の26人に入ることになり選抜チームとして活動をしています。

先週中国大会があったのですが残念ながらベンチ入りできず応援側に回りました。
冬のセレクションで落選したメンバーや今回の自分のように直前でベンチ入りできなかった選手の想いを背負った仲間たちは見事に全国大会行きの切符をつかんでくれました。

http://okayama-ssl.jp/?p=1975


9月に岐阜で行われる全国大会に向けて今度こそベンチ入りできるよう、そして試合にも出られるようトレーニングしていきます。
まずは慢性的におかしくなっている脚を治すところから…泣


自分がサッカーをしているのを耳にしている人からすればそういうレベルにあるんだ、と勘違いされそうなので。
でもずっと一緒にサッカーをしている友人からすればきっと意外なはずです。

①サッカーは高校デビュー

②社会人サッカーでの本格活動は4年ほど

③会社設立後は年に数回ボールを蹴るだけ

④復帰してからもそれほど試合に出られていない

⑤しかも本職のボランチではなくサイドで使われている

イメージ崩れませんでしたか?苦笑


サッカー部がなかった中学時代は卓球部に所属していて、体育のサッカーではまぁ多少上手いほうでしたが自分より上手い友達がざっと数えても8人はいました。
高校も決して強豪ではなく同じような初心者もいて自分がサッカーをするには適していた気がします。
体育コースにいましたが身体能力は標準、レギュラーになったのも先輩がいなくなってから。
チームも毎回地区予選で敗退して県大会の出場経験はなし。

大学でもサッカーをしましたが関西3部で2部入りを目指す標準的な強さ。
ただ先輩同期後輩には全国出場や地域大会出場、国体選手、地区選抜、Jユース出身者など何人か上手い人もいて高校デビューの自分には荷が重かったです。
(ちなみに今回久保建英が史上2番目の若さで日本代表デビューしたことが話題になっていますが、その史上最年少記録保持者である市川大祐のお兄さんが1つ年上の先輩で所属していました。笑)
希望ポジションはライバルが強力だったので可能性のあるポジションに移り、そんな中でも何とか試合に出られるようになり、先輩がいなくなっても上手い後輩とギリギリの争い。


まぁつまりそんなにセンスはなかったわけです。笑


社会人になってからは大学での経験が活きて割とブイブイ言わせられました。
名前もなかったチームが県1部まで登ることもできたし天皇杯予選の決勝でファジアーノ岡山と戦うこともでき(結果はボロ負け)たし。
ただ冠婚葬祭や飲食業の悲しさで段々と試合から遠ざかり…
上記の通りあまりサッカーをすることができないまま、特に肉体的ピークの20代後半~30代前半は完全に棒に振っています。
たまにチームの練習に顔を出すと

「おっ、練習来るとかめっちゃ珍しいですね仕事クビになったんですか?笑」

というイジリがある感じ。
とても県代表を目指すには無謀なサッカー人生を送ってきました。



でも、ですよ?


おそらくビリケツとは言え結果として代表入りすることができました。




勇気が持てませんか?




もちろん復帰に向けてなかなかハードな練習はやってきました。

復帰初日にアキレス腱を痛めて5ヶ月休みました。
いつの間にかチームに入っていたルーキーにチンチンにやられたりもしました。
希望したポジションは空いていませんでした。
気が付けば最年長になっていました。
リーグに知っているチームが少なくなっていて浦島太郎みたいでした。
チームのメンバーが自分のことを間違った名前で憶えていました。
アキレス腱が治って半年後に逆アキレス腱を痛めて4ヶ月休みました。
変更になったルールを知らないままでした。
溜まっていた部費を払おうとしたらそもそも登録してなかったから要らないと言われました。
いない時期は自分のユニフォームが勝手に新人に貸し出されていました。
一緒に戦っていたはずのメンバーが別のチームに移籍していました。
先輩が引退していたことを知らされていませんでした。
試合に出られるのは人数がギリギリの時ばかりでした。
最初の選抜セレクションでは「このポジションやったことないの?」と言われました。
2度目のセレクションではゴールを決めたのに落選しました。

それでも折れずに3度目、ついに受かりました。
ブランクからの無理なトレーニングの影響で足腰が負傷だらけです。
それでも全国大会メンバーに入りたい。
あのピッチに立ちたい。

これは完全に挑戦です。

 




それでもみなさんはまだ出来ない理由を探し続けますか?